東京地方裁判所 昭和54年(ワ)660号 判決
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【判旨】
そこで、原告の使用継続に対する異議が正当事由に基づくかどうかについて判断する。
1 原告側の事情
<証拠>によると次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 原告は、もと神奈川県三浦市に建物及びその敷地を所有し、右建物に妻きんとともに居住していた。ところが、長男轟清一郎が事業に失敗したことから、これに伴う多額の負債弁済のため昭和四七年右土地建物を売却した。そこで、原告夫婦は、横浜市戸塚区にある三男轟茂道所有の建物内に身を寄せ、昭和四九年七月以降は現在まで同所に寄宿の状態を続けている。しかし、右三男方では、昭和五三年一二月末の本件賃貸借の期間満了時、三男の妻及び子一人との合わせて五人暮しであり、二世帯同居の不便な状態にあつた(現在では、右の他、右三男の子が二人増加し、七人暮しである。)。
原告は、長年官庁に勤めた後、昭和四三、四年頃退職し、その後年金収入により夫婦の生活だけを賄つている。
右居住状態に対し、原告としては、自己及び妻だけで独立して他に居宅を確保したい希望であるところ、原告が本件土地の所在する東京都千代田区麹町出身のため本件土地を居宅敷地として利用したいとの考えを有している。また、右三男は公認会計士であるが、独立の事務所を開設したいとの希望を有している。そこで、原告は、昭和五三年一月頃には、本件土地の明渡を受けた後、同地上に三階建以上の堅固建物を建て、そこに夫婦の居宅と右三男の事務所を設けるべく計画し、建築設計事務所に依頼して建物の設計図を作成させ、銀行から建築資金融資の内諾を取付ける等して準備を整えた。
(二) 本件土地は、商業地域にあるが、付近には商店、事務所の他住宅も多く、近時は住宅事務所兼用の中高層建物が増加する趨勢にある。
(三) 原告は、もと本件土地付近に本件土地を含んだ一団の土地を所有していたが、昭和四三年から昭和四六年にかけて次々に他に売却し、本件賃貸借期間満了時には、東京都千代田区麹町二丁目二番一、同番一九及び同番三二の三筆を有するだけとなつた。右三筆も、いずれも他に賃貸中であり、当時右賃貸期間が満了せず、満了時にも明渡しを得る可能性は低い状態にあつた(右三筆の土地も、昭和五九年六月、賃貸状態のまま他に売却した。)。原告は、その他に不動産を有しない。
2 被告側の事情
<証拠>によると次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 被告幸夫の父久保小助は、本件土地を原告から賃借した後、昭和二三年本件建物を建築所有し、他方その少し前借地である東京都渋谷区代々木三丁目一五番地上に居宅を建築所有していたので、右代々木の建物に居住しつつ、本件建物に通勤し、同所において洋服仕立業を営むようになつた。右小助は、その後右代々木の居宅敷地をも買受け取得した。
被告幸夫は、本件建物に居住し、他に勤務するかたわら、右小助の営業を手伝つていた。
昭和三五年頃、右小助とその妻久保みちが右代々木の居宅から本件建物に移り住み、替りに被告幸夫及び被告悦子夫婦が右代々木の建物に引越し、以来右被告ら夫婦は、現在まで右代々木の建物に居住している。
右小助の死後、本件建物には久保みちが一人で居住し、右代々木の居宅にいる被告幸夫に洋服の修理をさせる等して洋服仕立業を続けていたが、右みちがその後がんのため病床に伏せつてからは、本件建物における洋服仕立業は廃される一方、被告悦子が右みちの看病のため本件建物に通つていた。
(二) 被告良夫は、被告幸夫、被告悦子間の子であり、右代々木の被告幸夫宅にて成長した。被告良夫は、昭和五一年に大学の工学部を卒業した後、機械販売会社に就職し、昭和五二年夏頃には同社の名古屋営業所に赴任したが、まもなく同社を辞め、一旦右代々木の家に戻つた後、昭和五二年一〇月頃から、本件建物において右みちと同居してその世話をするかたわら短期間他に勤めていた。被告良夫は、昭和五三年一月一三日右みちが死亡した後も、本件建物に一人で居住し続けた。
(三) 昭和五三年一月末頃、被告らは、本件建物の利用、被告良夫の職業選択及び将来の被告らの生活方針について親族会議を開き、被告良夫をして調理師免許を取得させ、同人を中心として本件建物において焼鳥屋を営業することを決めた。
その後、被告良夫は、他の焼鳥屋に勤めて見習をする等して調理師の修業をし、同年一一月二四日東京都知事より調理師免許を取得した。そこで、被告幸夫は、二四〇万円の公的融資により資金を調達し、同月末頃から本件建物の内外の改装及び修理工事に着手し、同年一二月一三日頃には右工事を完成し、焼鳥屋の開業に至つた。以後現在まで、被告良夫が本件建物に居住しつつ焼鳥屋経営の中心となり、被告幸夫及び被告悦子も洋服仕立業は廃業して右焼鳥屋の営業に携わり、右営業収入により被告らの生活を支えている。
3 その余の事情
<証拠>によると以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
被告幸夫らは、昭和五二年一二月末頃、代理人弁護士を通じて原告に対し、本件賃貸借の期間満了時の更新の申入れをしたが、原告は、自己使用の必要性を理由にこれを断つた。また、昭和五三年三月には、原告は、その代理人弁護士の事務所において、被告幸夫に対し、本件賃貸借の期間満了後本件土地を明渡すよう申入れたが、右被告は、使用計画のあることを理由にこれを拒絶した。
その後は、右期間満了時の明渡をめぐり、特段交渉もなく推移した。しかし、同年一二月二〇日頃、原告の三男轟茂道が本件建物に改装が施され、焼鳥屋が開業されているのを発見したため、原告は、同月二八日、代理人弁護士を通じて内容証明郵便をもつて被告幸夫、被告悦子に対し、本件賃貸借の更新を拒絶する旨通知し、右通知は同月三〇日被告に到達した。
原告は、昭和五四年初め頃、他の焼鳥屋の店舗広告書類を集めて被告らに交付し、店舗移転に必要な立退料を提供する旨申出て明渡の交渉をし、本件訴訟における裁判上の和解においては、右立退料提供の申出の他、被告らの希望も参酌し、本件土地上に被告らと共同で堅固建物を建築し利用する案を示し、右建物の設計図も作成し、被告らが難色を示すつど設計図を作成し直す等して被告らの同意を得るべく努力した。このようにして和解交渉は長期間にわたつて行われたが、最終的に、被告らが、右共同建物建築の費用分担割合等に不服で合意を拒んだため、和解は不調に終わつた。
(二) 原告が、昭和五四年一月二七日本件訴訟を提起し、昭和五四年九月一四日、本件土地使用継続に対する異議の正当事由の補完のため五〇〇万円又は相当額の立退料提供を申出、昭和五八年五月二三日に右立退料を一〇〇〇万円に増額する旨申出たことは、当裁判所に顕著であり、鑑定結果によると、本件土地の昭和五三年一二月三一日(本件賃貸借の期間満了時)の借地権価格は金二八一二万三〇〇〇円であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
4(一) 以上の各事実によつて検討するに、本件賃貸借の期間満了時、原告には、三男宅に妻とともに寄宿の状態にあつて他に住居を求める必要があり、本件土地を除いては住居建築のための適当な土地を有しなかつたことを主とし、本件土地上に右三男の会計事務所を設けるためにも本件土地を新たな建物の敷地として自己使用する必要性があつたといえるものの、右原告自身の住居移転等がそれ程緊急の必要性があるものとは認められない。他方、被告幸夫、被告悦子は、居宅を別に有するものの、本件建物において子である被告良夫をして焼鳥屋を経営させ、右両名においてこれを手伝うことにより右両名の生活をも支えつつあつたといえる。もつとも、被告らは、久保みちの死亡後本件建物を十分に利用していなかつたにもかかわらず、原告からの明渡要求に抗するため、本件賃貸借の期間満了直前になつて本件建物を改装のうえ焼鳥屋の営業を始めたことが窺えるが、右焼鳥屋営業を始めるため、事前に被告良夫において調理師免許をとる等準備を重ねており、開業後現在まで被告らが一緒になり引続き営業していることに照らすと、本件土地明渡交渉における被告らの拒否的態度を考慮に入れても、なお、右営業開始か明渡要求に対処するための単なる方便とまでみることはできない。
そうして、右両方の事情を比較衡量すると、右原告の自己使用の必要性のみでは、無償で本件土地明渡を求めるための正当事由ありということはできない。
(二) しかし、以上の各事実、なかんつく右被告らの焼鳥屋営業が、本件賃貸借の期間満了直前になさわたことからすると、右期間満了時においては、本件土地上における営業継続の必要性はそれ程高いものではなく、他の場所に移転して営業した場合にも、移転による顧客の喪失等の営業自体に受ける打撃は余りなかつたものと考えること等に照らすと、本件では、借地権喪失を或程度補填するための相当の立退料提供が原告からなされれば、使用継続に対する異議の正当事由を備えるに至るものといえる。
右期間満了時における本件借地権価格が二八一二万三〇〇〇円であること及び前述の原告と被告幸夫、被告悦子双方の事情を総て考慮すると、右正当事由の補完として提供されるべき立退料の額は、右借地権価格の約六割にあたる一七〇〇万円をもつて相当と考えられる。
右は、原告が予備的請求において申立てた金額よりやや多額であるが、弁論の全趣旨から申立の範囲を越えるものではないと認められる。
(高田泰治)